「若者は政治に関心がない」は嘘だと思う

2019.04.06 Makoto Ootsuka

雑記

皆さん、「政治」との関わりってあります?
タイトルを見て「そういえば政治って何だろ?」とか思いませんでしたか?
そもそも「政治家」って何する人なのか。知識では知っているつもりでも、案外、曖昧じゃないですか?

もうすぐ投票日も近いので、そんなことを書きたい。というか心の叫びを聞いてくれ。

「若者の政治離れ」に対する反論

ー新潟県各種選挙の年齢別投票率:新潟県議会議員選挙2015 (http://www.pref.niigata.lg.jp/senkyo/1331758865289.html)

 

とりあえず、この図を見て、心がゾワゾワしてしまったのは僕だけじゃないと思います。
パッと見、「なんか若者ヤバそう」と思うのは仕方ない。

そして、さらに恐ろしいことが、このグラフによって「若者は政治に関心がない」とか「若者は、もっと投票に行け」とか「若者の投票率を上げろ」とか好き勝手なことを言われてしまっているということです。投票率が低い世代として、そう言う人の気持ちは分かりますが、もっと考えてくれ。と言いたい。

この謎の風潮に関して「本当に僕らは批判される立場なのか」というのが今回の記事のテーマです。
この時期になんかよく聞く「若者の政治離れ」という言葉に対する反論です。

「投票=政治参加」という決めつけ

投票することの目的は政治家を決めること。
政治家の目的は社会の在り方について考え、動かすこと。

この前提に立った時に、「政治家じゃなくても出来るじゃん」と思いませんか。
つい最近までなかったSNSやインターネットを通じて、個人が意見を述べ、支持を得て、影響を与えられるのが当たり前の時代に生きています。

まちづくりの現場やNPOや社会起業家の台頭を見ても、社会は変えられるし、考え、動かすことが出来る。
その辺の知らないおじさんより、youtuberに一票入れるって人もいるでしょう。

昔みたいに「政治家に陳情しないと地域が変わらない」なんて時代ではないのです。

その中で「政治家」をわざわざ選出する意味って何なのだろう。

政治教育と投票システムの不適切さ

政治と選挙を取り巻く環境もそう。
18歳未満の政治活動が規制されている中で、18歳になったら投票権が与えられます。

説明するまでもなく、頭おかしい。
世の中には感度高く情報をキャッチして、高校生ながら政治活動をしたり、投票への啓蒙をしている層はいますけど、一部の話でしかない。政治の知識の有無を若者の自己責任論にするのは酷ってもんですよね。

 

YouthCreate http://youth-create.jp/

選挙の時期もおかしい。

そして、学生や社会人の多くは「必ずしも住民票がある場所にいるとは限らない」という事実。
働き方も多様化する中で煩雑な遠隔地投票の仕組み。

そもそも家に届いたハガキ持って、物理的に投票するというのが不親切すぎる。
(事前投票はハガキなくても行けますが、「行かないと出来ない」という行動も不適切すぎる。)

これらの要素は、地方だとさらに具合が悪い。
高齢化の影響で実数が少ないことはもちろん、大学や専門学校がなければ、選挙の時期、多くの若年層は地域の外に出ていますし、子供が政治活動や外部との交流をすることへの親の心理的障壁も全体的に高い感じがします。(これは感覚ですけど…)

 

投票率が低いのは社会のせいなのか

投票だけが政治参加ではなく、仕組みとしても欠陥が多い「選挙」
だからこそ「投票率が低い=若者の政治離れ」は、短絡的なのでは…と思ってしまいます。
もっと根本的な課題があるだろう!と。

時代の変化の中で、変わる様相を見せない「選挙制度」が古くてダサいという感情を抱いている人もいるかもしれませんし、なんなら「投票をしないことも自由。権利だから」と言う人もいるかもしれません。

なんなら、選挙の時期になって、突然「政治に興味持って、投票に行け」ってなんなん。(盛大にブーメランですが。)

色んな考え方がありますけれども、あまりにも僕らの世代に今の選挙制度は合っていません。

「投票はしていないが、政治を通さず直接社会問題に関わっている人」は大勢いると思いますし、
まちづくりや社会貢献に関わる手段は政治活動・団体活動だけじゃないのです。

他にもいくらだって「若者が投票をしない理由」は挙げられます。しかしですね…

 

だからと言って投票をしなくて良い理由にはならない

「投票しない理由」をいくら挙げたところで、現実はどうでしょう。
世代間の公共投資の格差は広がり、単純に僕らの世代は単純に「損」しています。

選挙や政治という仕組みはツッコミどころがありすぎて、批判も否定もしやすい。
だからこそ、投票へ行かないことを正当化しやすいという側面もあるのではないかと思います。

「誰かも知らない人の名前書けない」とか「応援する理由が分からない」とかいう「誠実さ」
「何をやったって変わらない」とか「1票で何が変わるのか」という「諦め」にも共感します。

そういった高尚なことを考えていても、こんな非合理に選挙制度が行われているのが現実です。
社会は冒頭のグラフを指標の一つにして、動いていってしまいます。

そんな中で、旧時代の常識にとらわれた人々に「若者は…」とか言われるの嫌すぎる。
言い返したくても、この投票率でこんなこと言っても説得力に欠ける部分が出てくる。

何かがすぐに変わる訳ではないと思います。

一体何をしたらいいんだという苦悩も分かりますが、思考停止に陥れば状況はますます悪化する気がしませんか。
むしろ、地方の1票の重さを見てください。小さくとも何か変化を起こすチャンスは地方にこそあるんです。

 

 

政治家の立場と役割は変わる

 

十日町市の10代、20代、30代の有権者で8000人強くらいは、いるはずです。

僕は決して政治家不要論を唱えたい訳じゃないんです。地方において「政治家」の役割に変化が起きている。
市民の代表者・代弁者という役割は薄れ、共に当事者として社会に関わるプレイヤーを選ぶという視点を持つ必要が出てきたのではないかと思うのです。政治家を活かし、使う立場に若者がなっていかなくてはならぬのです。

これから、選挙の在り方、政治家の役割は、どんどん変わっていくでしょう。むしろ変わっていってもらわないと困ります。最適化していくと言った方が正しいかもしれません。

投票に行かない余程の理由がある人以外、そんな毛嫌いせずに軽く新聞にでも目を通して、市役所とか行ってみて欲しいなって思います。行かない理由があるなら、今後のために本気で教えてください。

実体験も含めた「政治と選挙」に関する心の叫びは、2本目に続きます。

「選挙」と「政治」は混同せずに語りたい。投票日前に読んでくれ。

 

Makoto Ootsuka

この記事を書いた人

大塚 眞 / 経営ディレクター / ライター