「場づくり人」が持つべき、視点と仕掛け-年間4000人が訪れる住み開きの古民家「ギルドハウス十日町」-

2018.04.30 Makoto Ootsuka

インタビュー


「住まいを開く」ことで生まれる地域の新しい人の流れ

新潟県と長野県の県境に不思議なまちがある。越後妻有と呼ばれる地域一帯は盆地の影響から特別豪雪地帯として名高く、冬は雪に閉ざされた場所だ。

「豪雪地帯」と聞くと「よそ者」を寄せつけない過酷な雪国が浮かんでくるが、京都・金沢に次ぐ織物の生産地として栄えたこの町の人達は、外から来た人を朗らかに温かく迎え入れる気質を持っている。

そんな越後妻有の一角、新潟県十日町市の津池(ついけ)集落にギルドハウス十日町がある。築120年の大きな古民家は、どの地方の集落にもありそうな佇まいだが年間4000人が訪れ、日本各地、世界各地から集まってきた人達が共同生活をしている家なのだ。



▲築120年の古民家に掲げられた看板、不思議な光景だ

 

豪雪地帯の限界集落に人が集まる理由は、この家の「住み開き」というコンセプトだという。
「豪雪地」「限界集落」「古民家」「共同生活」という要素が重なる特殊な空間で、なぜ人が集まり、暮らしが生まれるのか。紹介していきたい。

 

ギルドハウス十日町を始めた西村さんの想い

 

新潟県十日町市は2015年4月に1人の「元・旅人」が旅の終着点として選んだ場所だ。
西村治久さん、ギルドハウス十日町のオーナーであり「ギルドマスター」である。



▲ギルドマスター 西村治久さん

西村さんは勤めていた会社を辞めた後、旅は道連れ世は情けと全国各地を雲の様に旅してきた。

西村「当時はノマドワークに可能性を感じていて、個人の可能性が広がり、企業の枠に捉われずに新しいスタイルで仕事をしていくような『ワークシフト』が主流になってくると確信していました。だからコワーキングスペースなんかを中心に旅をしていたんです。自分の働き方もipadひとつで仕事をするWebプランナーとしての肩書きも持っていました。」

働き方への考え方が変わり、それを手助けするかのようにIT技術が発展していったことで個人の可能性が広がった。元々、IT関連の企業で働いていたことも西村さんの働き方を助けただろう。フリーランスとして動き始めた西村さんだったが、旅の道中で考え方も変わっていったという。

西村「旅の道中で本当にいろんな人、価値観を持った人に出会い少しずつ考え方が変わっていったんです。高給取りじゃなくても、最低限の収入が確保できれば自分の時間を好きなことに使える。そんな暮らしもいいんじゃないか。そんな『生き方』の方に興味が向いてきました。流れるように旅をしてきたけど、『どこかで自分の場を持って』そういうことが楽しいなと思い始めたんです。」

そうして、3年の旅の中で少しずつ積み重ねてきたコンセプトが住みびらき。
西村さんは新潟県十日町市の古民家と出会い、そこを旅の終着点とした。

西村「隠居をしたいと思っていた自分には、今の家の立地や家の佇まい、大家さんとの相性、そして自分が旅の中で積み重ねてきた『仕掛け』を実践する場としてぴったりだったんです。」

こうして、わずか5世帯の山奥の集落にある築120年の古民家を借り受け、旅人から“ソーシャルな隠居人”へとジョブチェンジ。「住み開き」を実践するためにギルドハウス十日町を立ち上げたのだった。

 

ギルドハウスに施された「場づくりの仕掛け」


ここで気のなるのは旅の中で積み重ねてきたコンセンプトを実践するための「仕掛け」というやつである。

西村「このギルドハウス十日町を始めるにあたって、『場』『人』『情報発信』に仕掛けを施しました。大きなこと、小さなこと、それぞれ挙げたらキリがありません。例えばですが『地域同士を繋げること』を意識しましたね。繋げ方は色々ありますが自分がやったのは『地域同士を繋げるキーワード』をつけること。単純な話、住みびらきという考え方を実践している人は全国にいます。シェアハウス、ゲストハウス、コワーキングスペースも同様です。同じ言葉を使うオーナー同士の関係があることで旅人はその間を行き来する。旅をしてきたから持てた属人的な仕掛けです。」

集落に隠居しながらも地域同士を繋げるような関係を持つ。なんとなく最近のSNSを介して離れていても繋がりを保ち続けることのできる状況を活かしている印象を受けるが、旅をして関係を丁寧につくってきた西村さんは、そこにしっかりと血も通わせた関係を相手と築けているのだろう。

「他に『場』に対しても細かく仕掛けを施してます。床の間を漫画棚にして『上座と下座をつくらず』フラットな場にすること。机の天板の角を丸くすること、大きさを不揃いにすること。場が盛り上がってきたらオーナーである自分は席を外すようにすること。そんな細かい仕掛けです。』

 

西村「そして、一番の場づくりは古民家であるということですね。年月を経て歴史を持つ家はその存在だけで安心感がある。人の暮らしを見守ってきた日本的な古民家ですから、日本人には安心感を与えます。古民家自体がすでに『場力(ばぢから)』を持っているんですよね。そんな場所を選べたことは場づくりをする上で重要なポイントでした」

泉のように出てくる西村さんの「仕掛け」の話。
このほかの仕掛けは、是非ともギルドハウスに足を運んで確かめてほしい。


場の輪郭がつくられていくには時間がかかる


西村さんの旅の集大成として生まれたギルドハウス十日町。色んな仕掛けを施した「場」が動き出したのは2015年の春のことである。オープン当時は何もない空間で、多くの人が行き交う今のギルドハウス十日町の姿ではなかった。

この古民家は半年ほどの期間を経て、ギルドハウス十日町に『なっていった』。「DIY期」と呼ぼう。ギルドハウス十日町が立ち上がるとほぼ同時に、数人の若者が住み始めた。目的は家のDIYを半年間かけて行うため。旅先で出会った「パーリー建築」という古民家再生をしながら旅をするチームだった。

▲全国を旅しながらDIY。パーリー建築の2人(写真右・中央)

西村「ギルドハウスを始める1年前に広島の尾道で代表と会ったんです。当時、彼は建築を学ぶ古民家再生に興味を持っている学生でした。『いずれ、こんな家をつくるよ』という話をしたら、『是非、手伝いたい』と約束してくれたんです。旅の約束が果たされたのは嬉しかったですね。」

当初、手をかけてもらう予定だったのは半壊したキッチンだけだったという。しかし、彼らが住んでいた半年の間に「想定外」のことが起こり続けた。

「想像以上に創造的で、彼らの家づくりはコミュニティを広げながら進んでいくんです。多くの人を巻き込んで、名前の通りパーティーをしながら家をつくっていく。自分は隠居に徹していて、ほとんど手は動かさなかったですけどね(笑)ただ、彼らがやりたいと言ったことは全てOKしてました。彼らは自分の意図を汲んでくれてますから、制約をかけないことで彼らの良さが活きてきて。ギルドハウスは自分の思う場になっていったんです。」

キッチンの修繕が終わった後も休む暇なく、とにかくDIYとパーティーが続いた。
天井板が外されて立派な梁が姿を現し、廃材と流木を集めてつくったバーカウンターに人が集まり、白く塗られた壁はライブペインティングによって作品となった。

 

  

      

玄関の天井も吹き抜けになったのですが、その時には西村さんの出かけている間に天井がなくなっていたそう。

そうして「人は人に惹かれてくる」まさに、その言葉を体現するかのように限界集落の古民家には人が溢れた。集落のおばあちゃんが方言を使って旅人のオーストラリア人と会話をしている。お互いに母国語を話しているにも関わらず、不思議とコミュニケーションが成されている。

西村さんの仕掛けとパーリー建築の家づくりが相乗効果を生み出して、ギルドハウス十日町は誕生した。

人によって見方が変わる、それが場の自由さを生む

こうして文章にしていくと、ギルドハウス十日町はいろんな見方ができる家に思えてくる。
結局のところ、ギルドハウス十日町は「どんな場所」なのだろうか。

西村「一言で言えば『西村さんの家』ですね(笑)家に『ギルドハウス十日町』という名前をつけて開いているというだけなんです。ただ、この場所はどんな風に思われても良い、むしろ色んな定義をしてくれるようにしています。」

2017年11月の時点で住人は15人。住む人にとってはシェアハウスだ。訪れる人にとってはゲストハウスのように泊まる場所になり、ノートパソコン1台持ち込む人にはコワーキングスペースになる。近所の人からすれば西村さんの家だ。昔の住人にとっては第二の実家かもしれない。

西村「そんな定義がされない家です。明確な境界線はないんですよね。」

その曖昧さが人の流動性を生み出しているのかもしれない。こんなにも注目され、人が訪れる「西村さんち」は他になさそうだ。ただ、曖昧さをコントロールするのは難しいようにも思える。

西村「そうですね。自分が想定していた以上のことはたくさん起きます。例えば人数。ちょっと人が来すぎたかな…全国放送にも出るようになって、ドッと人が押し寄せました。自分の考えてる範疇を超えることも多いです。トラブルもありますが、雨降って地が固まるという言葉があるように、それ自体は問題というわけじゃない。良いこともあるし悪いこともあるのが『住まい』ですからね。」

 

「場」の遺伝子は受け継がれていく

 

「どんな場所でもなく、西村さんの家」これがギルドハウス十日町である。

この場所が持つ奥深い力は西村さんの仕掛けや経験だけではなく、いろんな要素から組み上げられているわけだが、そのことを西村さんは「場の遺伝子」と呼んだ。

「色んな場所を見てきて、場の遺伝子というのを考えます。どこかのシェアハウスに住んでいた人が立ち上げた別のシェアハウスがどことなく似た雰囲気を持っているというような。場の持っている良さ、雰囲気って遺伝子のように紡がれているんです。人が人に影響を与え合うのと同じような関係が場づくりにもあるように感じています。」

ギルドハウス十日町が持っている独特の雰囲気は、何によってつくられたのか。その答えのようなものが少し分かった気がする。旅を続けてきた西村さんがギルドハウス十日町をつくり、パーリー建築が土台をつくった。住人と訪問者が行き来して有機的に変わっていくギルドハウス十日町。たくさんの遺伝子が交換される場所は、唯一無二の場所になるのではないだろうか。

 

最後に、これからどんなことを楽しみにしているのか聞いてみた。

 

「場の遺伝子という話をしましたけど、ギルドハウス十日町が持っている遺伝子も色んな人に受け継がれているなぁと思っています。沖縄で住みびらきを始めたいと言っている元住人、渋谷で居候をしながらでも場をつくりたいと言ってくれる人。遺伝子を受け継いで作られた場所に行ってみること、そして彼ら彼女らの人生の変化や心の変化を見続けていくことが一番の楽しみですね。」

 

ギルドハウス十日町に住んでいる人達の間に血の繋がりはない。だけれども、「血の通った人間関係」がそこにはあった。オープンから3年が経とうとしているこの場所の遺伝子がこれからどう広がり、変わっていくのだろうか。

 

地域に新しい人の流れを生み出したギルドハウス十日町。こういった場所が一つあるだけで、地域には大きな影響を与える。様々な場所で言われている「地方との自由な関わり方」をするための拠点として、今後も注目されそうだ。

 

是非、自分自身の身体で場の遺伝子を感じて欲しい。

 

ギルドハウス十日町のFacebookページ

 

 

今年の夏は「住みびらきの古民家」で過ごそう!ギルドキャンプのお知らせ

 

 

今年もやります!
【Facebook限定募集】
~ ギルドキャンプ2018夏 ~

ギルドハウス十日町に試しに住んでみませんか?

・棚田や畑など地域のお手伝い
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・地方での起業の準備
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など、あなたのやりたいことをみんなで応援します。家族やお友だちといっしょでもいいですし、ひとりでのんびり過ごすのもOKですよ。

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・募集人数
最大3名

・応募締切
2018年6月6日(水)

・試住期間
2018年6月1日(金)~2018年9月24日までの、最短3日間~最長3か月間

・応募方法
当Facebookページからメッセージをお送りください。その際、お名前、性別、年齢、人数、滞在期間、応募理由(滞在中に挑戦してみたいこと)を簡単にお送りくださいね

・滞在中の生活費など相談に乗りますので質問がありましたらメッセージをお寄せください

では、ご応募をお待ちしております!

こちら

【参考】
ギルドハウス十日町に集うみんなが記事をいろいろ書いてくれました。どうぞ参考にしてくださいね。
https://adventar.org/calendars/2289
https://adventar.org/calendars/1931

 

Makoto Ootsuka

この記事を書いた人

大塚 眞 / 経営ディレクター / ライター